鯛の昆布締め
毎度、お魚売り場に並べられる柵の魚たちに
「刺身用」
と書かれているのを見ては、
でも、こんなにたくさん食べられないし、
自分でお刺身に切っても美味しくないだろうし、となんとも恨めしく思っていたのだけど、
ふと、昆布締めなら日持ちもするしやってみようかと思い立った。
結果、簡単ながらもおいしい。
しかも、切り口のダメさも、昆布さんのおかげで、少しづつ熟成していく身の柔らかさが、
なんとかフォローしてくれている感じがする。
やってみるものですね。
コーヒーを選ぶときはジャイアンになれ
最近、カフェオレをよく飲むようになった。
電動のコーヒーミルを買ってから、
豆を挽いて、コーヒーを淹れる事が楽しくて、
全然上手く淹れられないけど、それがまたよくて、続けている。
そもそも、私はコーヒーが大好きなわけではない。
でも、コーヒーを淹れるという行為がとても楽しいので、結果的に毎日飲んでいる。
先日、はじめてのコーヒーという本を読んでからというもの、カフェオレも楽しむようになった。
せっかくハンドドリップでいれたコーヒーにミルクを入れるのはもったいないような気もしてたけど、
ある日、なんて事ないお店で飲んだカフェオレの甘さと柔らかさに、なんとも言えないリラックスを感じて、
なんかこういうのもいいなって、思い直したのだ。
「コーヒーを選ぶときはジャイアンになれ」とは、この本でアアルトコーヒーの庄野さんが言ってた言葉。
美味しく飲めればそれでいい。
そうか、そういうもんか…って
自分の殻の破れなさと、臆病ぶりに苦笑いして、少しコーヒーの世界が広がったのでした。
はじめてのコーヒー https://www.amazon.co.jp/dp/4902744635/ref=cm_sw_r_sms_c_api_YCGRybAD0DX4B
だからダメなんだよが、ダメなの。
怒りの奥には願いがある
というのは、わかる人にはわかる。
でも、そこに寄り添ったり、対話したりする仕事があるくらいだ。
技術がいるし、覚悟も必要。
だから、通常は怒りは怒りとして人に伝わる。
文句は文句、愚痴は愚痴。
どんなにその奥に願いがあろうとも、
それは目の前の人に、そのまま怒りや文句として受け取られるのが日常。
で、たぶん、そのままだと、その願いは、叶わない。
誰かが一緒になって怒るか、愚痴るのみ。
万年野党になり、変えられなくなる。
自分が変えられる事にどんどん気づかなくなって、虚しくなるし、怒りが増してゆく。
一方、願いや信念を発表するが、相手を批判して認めない人もいる。
「多様性のある社会を!」と口にするが、
行政や、国の事を「だからダメ」と口にする。
裏で何やってるかわからない、と常に疑いの目を向けている。
確かにそれが事実だったとしても、
とても排他的だなあと私は思ってしまう。
…そして、私は「だからダメなんだよ」と、
その人とまた同じ事を思ってしまう。
あーあ…。
変えたい何かがある時、
伝えたい事がある時は、
心を込めて、優しい気持ちで言うようにする。
そこから始めようと少しづつでも頑張る。
怒ってばかりじゃ伝わらない